南濃町 菓匠 尾張屋昌常

 

4代続く老舗和菓子屋 菓匠尾張屋昌常

創業 大正13年 1924年 

今回は約100年の歴史を誇る老舗和菓子屋の菓匠尾張屋さん

尾張屋さんの名前の由来

初代の曽祖父が、修行したお店は「つるや」でありました。

地元に帰ってきた初代「つるや」という屋号でと考えましたが、

尾張名古屋は城でもつ

この伊勢音頭にも使われる有名なフレーズから

初代 尾張屋開店

しかし、初代は28歳という若さで亡くなってしまいました。

2代目に就いた祖父が、「尾張屋」という屋号をひらがなの「おわりや」に

変えようと思いついた時に、京都でお寺の住職をされていた、親戚に相談

住職曰く、『商売は、半分にすると左右対称の名前がいいのではないか?』

  住職から『昌常』の名前をいただき

2代目 尾張屋 昌常

その後 3代目にひらがなの

3代目 おわりや

3代目のお父様は、30代で亡くなり(4代目の高木さんが6歳の時・・・)

その間、お母様がお店を切り盛りしておりました。

26歳で地元に帰り、修行先の安城の両口屋菓匠さんの名前を引き継ぎ

4代目 菓匠 尾張屋昌常

5代目予定の息子さんは現在、同じ修行先の安城両口屋菓匠さんで修行中


商品名は地元の名前

行基山 (南濃町上野河戸辺り)

〇駒野のどら焼き(お店の辺りが駒野)

〇水晶の月 (自然夜景遺産にも登録された)

〇月見の森 (濃尾平野を一望できる自然公園)

地元の名前が多い理由は?
現在の海津市は、高齢化率が県内でも高く若い子が都市部に出て行ってしまい、帰ってこない状態です。
店主は地元が活気づいて欲しい! 和菓子職人として出来ることを考え、多くの商品に地元の名前を使っています。
 お菓子を手土産に持って行った先、催し物会場でお菓子を見た人が、この地元の名前を見て思い出してほしいと
そんな気持ちで毎日作っています。

尾張屋さんの取り組み

〇店頭販売のみでなく、積極的な販売網の拡大

・海津市のJAファーマーズ2店舗

・道の駅月見の森

・ヨシヅヤ海津平田店

・海津市内の老人ホーム(デイサービス おひさま)

〇カフェスペース

店内に販売スペースの他にイートインできるように、カフェスペース

夏場はかき氷がメイン(15年ほど前から)

南濃みかんを使ったかき氷

店主が地元を散歩していた時に、南濃みかんの畑がありました。

その時、美味しいみかんを作るために、摘果作業をしておりました。

それを見て『摘果で選別されたみかんがもったいない!』

この摘果された実を使って何か商品が出来ないかと考え、酸っぱさを活かした

南濃みかんかき氷をお店で出すようになりました。


これからの尾張屋昌常

店主の夢として、ドバイでたい焼き屋をやるのが夢!

ジャパニーズカルチャーである、たい焼きを世界に展開!

地元に子供カフェを開きたい!

核家族化が進み、寂しく家で過ごす子供も増えてきました。

昔は近所のおじいさんやおばあさんが近くにいて、いろいろなことが学べましたが、それも

今ではあまり見ない光景になってしまいました。

そのころのコミュニティーを形成していた、場所を子供カフェとしてつくり

いろいろな人が集まれる場所を作りたい!

まとめ

100年ほどの歴史のある、和菓子屋さん。地元を大切に新たな試みを実施しておられます。

カフェスペースを設けたり、新しい世代との交流も増えそうで楽しみです。

夢は大きくドバイ進出!

日本の伝統的なアンコでドバイの人を驚かせてください。

お店概要

 菓匠  尾張屋昌常

住所  岐阜県海津市南濃町駒野636-1

営業時間 8:00~19:00

定休日 火曜日

電話  0584-55-0050

FAX 0584-55-0050

取材人

淺野 アイコン

生まれも育ちも輪之内町。
名古屋の大須で、理容師の修行を12年。
30歳になるタイミングで家業を継ぐためにUターン。
 そして、地元に帰って6年経ち商売をやらせて
いただいている輪之内の地に恩返しをしたくて
「ワジュー」に「イジュー」の活動をしています。
 ワジュー地域に移住してくる人も、もともと
住んでいる人にも、知らなかったお店や会社の
情報を、相棒のボルボで取材に行ってきます。

趣味 旧車・新車問わず車好き 
   神社仏閣巡り
   喫茶店巡り
   相棒でのドライブ